※◆ここに表記されている年代や発売時期などに関しては、あくまで
私の知り得た時期を記憶に基づいて記述しています。
実際の正確な時期・年代とは異なっている場合もあるので、その点を考慮の上、お読みください。◆※
◆◆1960~1965年頃◆◆
私の9歳年上の長男は、プラモマニアでした。
地方の田舎に住んでいたので、1960年頃に近所でプラモ用のカラーを
私の9歳年上の長男は、プラモマニアでした。
地方の田舎に住んでいたので、1960年頃に近所でプラモ用のカラーを
手に入れるのは、無理だったようです。
中学の修学旅行で東京に行った時、小遣いを全部使い、マルサンの
中学の修学旅行で東京に行った時、小遣いを全部使い、マルサンの
プラカラーを買って来たそうです。
今のように、簡単に情報が手に入る時代ではなかった当時に、どうやって
今のように、簡単に情報が手に入る時代ではなかった当時に、どうやって
情報を集めたのか分かりませんが、かなりなヘビーマニアですね。
私が4~5歳の頃には、兄が作って塗装したプラモの完成品が、
いくつもありました。
私が4~5歳の頃には、兄が作って塗装したプラモの完成品が、
いくつもありました。
船や飛行機があったように記憶しています。
サンキョーのピーナッツシリーズと思われる、5cm程の飛行機を何個か
サンキョーのピーナッツシリーズと思われる、5cm程の飛行機を何個か
貰って、遊んでいました。
兄の完成品コレクションの中に、ひときわ大きな明灰白色に塗装された、
兄の完成品コレクションの中に、ひときわ大きな明灰白色に塗装された、
マルサン1/50の三式戦・飛燕がありました。
いつも「良いなあ、良いなあ」と言っては、時々見せて貰っていました。
ある日「ほら、やるよ」と言って、兄がその飛燕を私にくれたのです。
「???」私は、何故突然兄が飛燕をくれたのか理解出来ずに戸惑って
いつも「良いなあ、良いなあ」と言っては、時々見せて貰っていました。
ある日「ほら、やるよ」と言って、兄がその飛燕を私にくれたのです。
「???」私は、何故突然兄が飛燕をくれたのか理解出来ずに戸惑って
いると、「小学校入学記念だ」と言ってくれたのでした。
元々の飛行機好きと、こういった環境で、益々飛行機とプラモが好きに
元々の飛行機好きと、こういった環境で、益々飛行機とプラモが好きに
なって行ったのは、言うまでもありません。
1960年代のオモチャと言えば、フリクションやゼンマイで動く、ブリキ製の
1960年代のオモチャと言えば、フリクションやゼンマイで動く、ブリキ製の
自動車・飛行機やロボット、当時の東宝映画の影響か?空飛ぶ円盤や
光線銃などがありました。
新幹線が開発中で、当時は「夢の超特急」と呼ばれていました。
3歳か4歳の頃に、親父にブリキ製の「夢の超特急」のオモチャを、買って
新幹線が開発中で、当時は「夢の超特急」と呼ばれていました。
3歳か4歳の頃に、親父にブリキ製の「夢の超特急」のオモチャを、買って
貰った記憶があります。
初代新幹線・0系とはまるで別物、似ても似つきません。
小学1年の時に、日本初連続テレビアニメーション番組「鉄腕アトム」の
初代新幹線・0系とはまるで別物、似ても似つきません。
小学1年の時に、日本初連続テレビアニメーション番組「鉄腕アトム」の
放映の始まりました。
映画「禁断の惑星」に出て来る「ロビー」の、ゼンマイで動くブリキ製の
オモチャを買ってもらったのも、この頃です。
艶ありの黒いボディーに赤い手足、顔の部分の内側が火花を出しながら、
ゼンマイで歩きます。
東京オリンピックがあったのは、小学2年の時です。
テレビドラマでは、「コンバット」や「隠密剣士」、テレビアニメは「鉄腕
テレビドラマでは、「コンバット」や「隠密剣士」、テレビアニメは「鉄腕
アトム」に続き、「8マン」「鉄人28号」など。
その後は「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」「遊星仮面」とか。
その後は「スーパージェッター」「宇宙少年ソラン」「遊星仮面」とか。
(順不同)
小学3年頃にスーパーマリオネーションの国際救助隊「サンダーバード」
海外の実写SFドラマの「宇宙家族ロビンソン」「タイムトンネル」が放映。
海外の実写SFドラマの「宇宙家族ロビンソン」「タイムトンネル」が放映。
地方のため地元のハブ局が少なく、放送されないドラマやアニメも、結構
ありました。
よく友達と、コンバットごっこや忍者ごっこをして、遊んでいました。
小学2年か3年の時に、初めて自分の小遣いで、プラモを買った記憶が
よく友達と、コンバットごっこや忍者ごっこをして、遊んでいました。
小学2年か3年の時に、初めて自分の小遣いで、プラモを買った記憶が
あります。
定価100円、ゼンマイで走る車、多分ジャガーEタイプらしき格好をして
定価100円、ゼンマイで走る車、多分ジャガーEタイプらしき格好をして
いた気がします。
ライムグリーンの成形色で、今思い起こしても、かなりチープなキット
ライムグリーンの成形色で、今思い起こしても、かなりチープなキット
でした。
プラモを買いにお店に行ったのですが、100円で買えるプラモがそれしか
無かったのですが、兎に角何かを買いたかったので、無理やり買って
プラモを買いにお店に行ったのですが、100円で買えるプラモがそれしか
無かったのですが、兎に角何かを買いたかったので、無理やり買って
しまったと言うのが理由です。
ゼンマイを巻いて2回程走らせた後、もっと早く走らせるには?と考えた
ゼンマイを巻いて2回程走らせた後、もっと早く走らせるには?と考えた
答えは、「ゼンマイをもっといっぱい巻く!」・・・で、最後まで力強く
巻いて更にもう一巻き・・・「バチ~ン!!!」と言う音と共に、ゼンマイが
壊れてしまいました。
貴重な100円で手に入れたプラモデルは、たった2回走らせただけで、
貴重な100円で手に入れたプラモデルは、たった2回走らせただけで、
オシャカになってしまいました。(^_^;)
当時家の近所でプラモを売っているお店と言えば、駄菓子屋、本屋、
当時家の近所でプラモを売っているお店と言えば、駄菓子屋、本屋、
雑貨屋とかで、専門店らしきお店は無くて、子供が来そうな場所には、
大抵置いてありました。
化粧品雑貨屋とか、呉服屋などに置いている所もありました。
これは、母親に付いて行った子供をターゲットに狙いを付けたものと
化粧品雑貨屋とか、呉服屋などに置いている所もありました。
これは、母親に付いて行った子供をターゲットに狙いを付けたものと
思われます。
しかし、まだ小遣いで簡単にプラモがホイホイ買えるような時代でも、
しかし、まだ小遣いで簡単にプラモがホイホイ買えるような時代でも、
お大尽な家柄でも無かったので、5歳年上の次男の兄に、木の板を
糸ノコで切り抜いたピストルなどを作って貰って、遊んでいました。