昨年11月始めに友達から連絡があり、「以前同じ会社の同僚であった
後藤昌男さんが、7月に亡くなっていた」と連絡をもらいました。
連絡をもらう2~3日前に「そう言えば長年会っていないけど、
後藤ちゃんは最近どうしているのかな~?」と思っていた矢先に、
訃報の連絡をもらい、大変ショックを受けました。
■命日:2021年7月26日
その後、詳しい情報を知らせてもらい、回顧展を開催すると言う
連絡をもらいました
「2021年夏に急逝した模型クラブオービーズ・後藤昌男会長が、
40年にわたり製作した模型飛行機のほぼ全て(60機)を展示します。」
と言う【筆塗りの名人 後藤昌男 飛行機プラモデル回顧展】が、
2022年1月8日から10日まで開催されました。
実際に見に行きたかったのですが、とても残念です。
会場には行けなかったのですが、この記事にアップしている写真は、
私が現在所属しているクラブの、後藤君の会社の元同僚であった
メンバーが、それぞれに回顧展に行って来た時に、撮影してくれた
物をお借りして掲載しています。
・家野良さん撮影
・wataxさん撮影
・ねこやじさん撮影
・蛮尾さん撮影
皆さん、ありがとうございます。
私は後藤君とは同い年で、20代前半の頃の3年前後、同じ会社の
男子寮に暮らしていました。
ポスターにある「筆塗りの名人」とある様に、彼はエアブラシを
一斎使わずに、筆塗りだけで塗装を仕上げていました。
写真にある「レベル1/48 メッサーシュミットBf109Gー10」が
発売されてまもなく「丸1日掛けて筆塗りをしていた」と言う
水平尾翼を見せたもらった事がありました。
水平尾翼1枚の塗装に、丸1日も掛けるんかい?!! (゜〇゜;)
迷彩やモットリングの境目のボカシはどうやったのかと聞いたら、
断熱材とか、模型ではジオラマ等に良く使われている発泡
スチロールのスタイロフォームを、約3ミリ角の細長い長方形に
カットした物に塗料を付けて、塗料の濃さを調整する様に
ティッシュペーパーに擦り付けてから、色の境目にポンポンと
塗料を乗せて色を付けているとの事でした。
ボカシ筆の代わりにスタイロフォームを利用していたのですが、
発泡スチロールの細かい穴を上手く利用したアイディアに、
なるほど!と感心した覚えがあります。
そして乾燥させてから、目の細かい耐水ペーパーで砥ぎ出して、
ボカシ具合を調整しながら、再塗装・砥ぎ出しを繰り返すと言う
気が遠くなるような手間の掛かる行程を繰り返しながら、
仕上げていました。
それ以外にも、キットのプロペラ直径が短いので、プロペラ
ブレードの真ん中辺りをカットして、プラ板で1ミリ程直径を
プラスしていました。
車が好きで、当時は日産シルビアを所有していた記憶があります。
朝寝坊をして、慌てて会社に出掛けようとした時に、後藤君が
車で会社に行くと言うので乗せてもらい、何とか遅刻をせずに
済んだ事が、何度もありました。
彼の車に同乗させてもらい、常連であった西荻窪にあった
「ナカマ模型」に何度か連れて行ってもらった事があります。
そこには、かつてハセガワとグンゼ産業(現在のクレオス)が主催
していた「PPC・プラプレーンコンテスト」の初代チャンピオンにも
なられた池田さんの作品「マルサン・1/50 ファントムⅡ」が展示
されていました。
他にも、「エアフィックス1/72 のフェアリーファイアフライ」等、
何点か展示されていました。
最初にマルサン・ファントムⅡや、他の池田さんの作品を見た時の
衝撃は今でも忘れられません。
ナカマ模型に通っていたモデラーの多くは私も含めて、池田さんの
作品の影響を受けていたと思われます。
モデルアートとかで製作記事を書いていたあるライターの方とか、
後藤君もその流れで筆塗りを極めようとしていたのかもしれません。
それから数年後に私は会社を退社してからは、あまり会う機会も
無くなり、たまに会社の近くを通った時に道で偶然すれ違いざま、
「あっ!おう!元気?」程度の挨拶で終わっていました。
「まぁその内、また会う機会もあるだろう。いずれ作品を見せ会おう!」
程度に思っていました。
いつの間にか体のあちらこちらにガタが来て、いつ何が来ても
おかしくない年齢になったとはいえ、やはり65歳での突然死は
ショックでした。
65歳と言う若さで突然亡くなってしまい、残念でなりませんが、
ご冥福を祈りますと共に、後藤君に負けない作品を作って行き、
いつの日かあちらに行った時に作品を並べ比べて、眺めて
見たいと思います。
合掌。
後藤昌男さんが、7月に亡くなっていた」と連絡をもらいました。
連絡をもらう2~3日前に「そう言えば長年会っていないけど、
後藤ちゃんは最近どうしているのかな~?」と思っていた矢先に、
訃報の連絡をもらい、大変ショックを受けました。
■命日:2021年7月26日
その後、詳しい情報を知らせてもらい、回顧展を開催すると言う
連絡をもらいました
「2021年夏に急逝した模型クラブオービーズ・後藤昌男会長が、
40年にわたり製作した模型飛行機のほぼ全て(60機)を展示します。」
と言う【筆塗りの名人 後藤昌男 飛行機プラモデル回顧展】が、
2022年1月8日から10日まで開催されました。
とても行きたかったのですが、今私の抱えている持病や、それとは別に
抱えている病気の治療法を鑑みて、なるべく出歩く機会を減らした方が
良いだろうとの思いで、残念ながら行く事を断念しました。
次に後藤君の作品を見る機会に出会えるか分からないので、本当は実際に見に行きたかったのですが、とても残念です。
会場には行けなかったのですが、この記事にアップしている写真は、
私が現在所属しているクラブの、後藤君の会社の元同僚であった
メンバーが、それぞれに回顧展に行って来た時に、撮影してくれた
物をお借りして掲載しています。
・家野良さん撮影
・wataxさん撮影
・ねこやじさん撮影
・蛮尾さん撮影
皆さん、ありがとうございます。
私は後藤君とは同い年で、20代前半の頃の3年前後、同じ会社の
男子寮に暮らしていました。
ポスターにある「筆塗りの名人」とある様に、彼はエアブラシを
一斎使わずに、筆塗りだけで塗装を仕上げていました。
写真にある「レベル1/48 メッサーシュミットBf109Gー10」が
発売されてまもなく「丸1日掛けて筆塗りをしていた」と言う
水平尾翼を見せたもらった事がありました。
水平尾翼1枚の塗装に、丸1日も掛けるんかい?!! (゜〇゜;)
迷彩やモットリングの境目のボカシはどうやったのかと聞いたら、
断熱材とか、模型ではジオラマ等に良く使われている発泡
スチロールのスタイロフォームを、約3ミリ角の細長い長方形に
カットした物に塗料を付けて、塗料の濃さを調整する様に
ティッシュペーパーに擦り付けてから、色の境目にポンポンと
塗料を乗せて色を付けているとの事でした。
ボカシ筆の代わりにスタイロフォームを利用していたのですが、
発泡スチロールの細かい穴を上手く利用したアイディアに、
なるほど!と感心した覚えがあります。
そして乾燥させてから、目の細かい耐水ペーパーで砥ぎ出して、
ボカシ具合を調整しながら、再塗装・砥ぎ出しを繰り返すと言う
気が遠くなるような手間の掛かる行程を繰り返しながら、
仕上げていました。
それ以外にも、キットのプロペラ直径が短いので、プロペラ
ブレードの真ん中辺りをカットして、プラ板で1ミリ程直径を
プラスしていました。
車が好きで、当時は日産シルビアを所有していた記憶があります。
朝寝坊をして、慌てて会社に出掛けようとした時に、後藤君が
車で会社に行くと言うので乗せてもらい、何とか遅刻をせずに
済んだ事が、何度もありました。
彼の車に同乗させてもらい、常連であった西荻窪にあった
「ナカマ模型」に何度か連れて行ってもらった事があります。
そこには、かつてハセガワとグンゼ産業(現在のクレオス)が主催
していた「PPC・プラプレーンコンテスト」の初代チャンピオンにも
なられた池田さんの作品「マルサン・1/50 ファントムⅡ」が展示
されていました。
他にも、「エアフィックス1/72 のフェアリーファイアフライ」等、
何点か展示されていました。
最初にマルサン・ファントムⅡや、他の池田さんの作品を見た時の
衝撃は今でも忘れられません。
ナカマ模型に通っていたモデラーの多くは私も含めて、池田さんの
作品の影響を受けていたと思われます。
モデルアートとかで製作記事を書いていたあるライターの方とか、
後藤君もその流れで筆塗りを極めようとしていたのかもしれません。
それから数年後に私は会社を退社してからは、あまり会う機会も
無くなり、たまに会社の近くを通った時に道で偶然すれ違いざま、
「あっ!おう!元気?」程度の挨拶で終わっていました。
「まぁその内、また会う機会もあるだろう。いずれ作品を見せ会おう!」
程度に思っていました。
いつの間にか体のあちらこちらにガタが来て、いつ何が来ても
おかしくない年齢になったとはいえ、やはり65歳での突然死は
ショックでした。
65歳と言う若さで突然亡くなってしまい、残念でなりませんが、
ご冥福を祈りますと共に、後藤君に負けない作品を作って行き、
いつの日かあちらに行った時に作品を並べ比べて、眺めて
見たいと思います。
合掌。